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ようこそ Welcome
昭和14年の創業以来、小林秀雄・水上勉をはじめとする多くの文人墨客に愛された、当時の風情を今にとどめる純和風旅館です。
4つの棟に分かれた客室は、すべて温泉内湯付きの個性ある和室となっております。
当館は傾斜地に建っておりますので、館内には階段や段差がございます。手すりをつけておりますので、お気をつけてお歩き下さいませ。段差の少ない部屋をご希望の場合や、椅子・テーブルがご利用できるお部屋もございますので、ご希望の際はその旨をお申し出下さいませ。
道路を隔て川沿いに広がる加満田庭園は、湯上りや早朝にご散策いただける野趣あふれる自然庭園です。山峡の静けさの中で湯船よりあふれるお湯に身を沈め、安らぎの一時をお過ごし下さい。
日本本来の旅館業を今後も続けてゆきたいと存じますので、ご指導愛顧のほどをお願い申し上げます。
加満田の歴史
「加満田」初代館主であった鎌田正太郎(1899年生)は、大正13年に、大塚かつ(1905年生)と結婚。
築地魚河岸にて魚問屋を営んでいたが、戦時下営業の将来を見透かし、知人の勧めもあり、昭和14年(1939)湯河原梅園台温泉付き分譲地400坪を購入、木造2階建13室の旅館「加満田」を開業する。「加満田」という屋号は、築地市場外の波除神社の宮司が創業者氏名の「鎌田」から命名。
泉質の良いことから第二次世界大戦中は横須賀海軍より要請を受け、仮療養所となる。戦後、旅館業を再開。
昭和22年、宇野千代が発刊する「文體」の原稿を執筆のため、小林秀雄を加満田に缶詰。これが作家を缶詰にした第1号と言われています。その折「ゴッホの手紙」を執筆。以来、小林秀雄は亡くなるまで30数年正月を加満田で迎えられました。当時、玄関脇の帳場の奥にはいろりがあり、林芙美子、今日出海、獅子文六、坂口安吾はじめ、多くの文人達が正太郎と酒を酌み交わした。
昭和38年の6月~12月、水上勉逗留。その後数年に亘り1年の半分を加満田で執筆活動を行い、「飢餓海峡」、「越前竹人形」等、代表作を生み出されました。
その他、鏑木清方、小野竹喬、長谷川伸、壇一雄、坂口安吾、清水崑、舟橋聖一、獅子文六、西川鯉三郎、石井寛、今日出海、林芙美子、石川達三、尾上松緑、大岡昇平、水上勉、本田宗一郎、田実渉(順不同・敬称略)等々の諸先生にご来湯いただいておりました。
開業当時全景
振袖桜 宇野千代
二十二年「文體」を復刊。小林秀雄、青山二郎、河上徹太郎、三好達治、大岡昇平などが執筆、異彩を放った。奥湯河原の加満田旅館に小林秀雄を缶詰。これが作家を缶詰にした"第一号"であった。小林は亡くなるまで加満田を愛用した。
猿 水上勉
窓を開けると、階下の庇が内庭の切れ目までのびて、一本だけひょいと丈高い梨がこっちへ枝を張っている。この宿へきてから十年以上になるが、この木に実のあったけしきを見たことがなかった。
・・・・うしろは山なので、建物とせりあって切り立つ崖が苔の被われ、その肌を上の源泉からひいてくる黄濁色によごれた湯管が這っていた。
かっぱ 清水崑
加満田に向かうかっぱ
黄桜のかっぱの絵でお馴染みの漫画家清水崑先生(1912~1974)は、昭和20年代から加満田を度々訪れ、多くの作品を残して下さいました。この絵は、カップル、家族、一人者のかっぱ達が月夜の晩に連れだって加満田の湯に入りに行く様が描かれたもの。館内には他にも多くのかっぱを見つけることができます。